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  ご本尊
世界遺産でもある釈尊生誕の仏教遺跡
4月8日はお釈迦様の誕生日です。

 お釈迦さまは、二千五百年ほど昔、紀元前四六二年と伝えられますが、インドのヒマラヤのふもと小部族、釈迦族ゴータマ家の王子として生まれました。 お釈迦さまを釈尊ともいいますが、「釈迦族の尊者」を意味するシャーキャムニを日本語に訳したことばです。釈迦牟尼と音訳されます。
  お釈迦さまのよび名としてもっとも一般的なのは「ブッタ(仏陀)で、広く世界でもそうよばれています。仏陀とは、「目覚めた人」、「自覚した人」という意味で、当時のインドでは、お釈迦さまだけをさすものではありませんでした。
  そこで、お釈迦さまは、その姓をつけて「ゴータマ・ブッタ」とも呼ばれました。お釈迦さまの生まれた釈迦族は、カピラヴィットゥを首都とする小部族でした。カピラヴィットゥは、現在のネパールのタラーイ地方に位置していたと推定されています。 お釈迦さま、この釈迦族の王スッドーダナ(浄飯王)を父とし、マーヤー(摩耶を母として生まれました。
  仏伝(釈迦さまの伝記)によれば、マーヤー夫人が実家であるコーリヤ国へ出産のために向かわれる途中、ルンビニーの園で休息をとられ、美しい純白の無憂華(マメ科の常緑樹の花)をながめて楽しんでおられたとき、突然、誕生されたといいます。

お釈迦さまの誕生日花まつりには、誕生仏に甘茶をそそぎます。
  尊いお釈迦さまの誕生日の花まつりに平和がおとずれますようにとお願いするものです。
甘茶は雨の象徴です。雨は場所や時をえらばず平等に降ります。
  同じように、甘茶には、全ての人が平等で、仏教によって平和な世が実現されますようにとの願いがこめられています。

お釈迦様の生涯と弟子たち、そして仏教の伝播興隆の詳細は準備中です。
 
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  1月  
  弘法大師
中国で学んだ後に真言宗を開き、宗教にとどまらない数多くの分野で偉大な業績を残しました。

 日本最大の宗教的天才とも言われる空海(七七四〜八三五年)は、四国・讃岐国に生まれました。幼名は真魚。神童の誉れ高く、儒教を学んだ後に奈良の大学に入り、エリートの道を歩み始めますが、のちに一念発起して中退。孤独な求道者として各地の山野や海浜で壮絶な修行を積み、出家して名を「空海」と改めます。

  空海の運命を変える事件となったが、二十三歳頃、密教の根本経典の一つ『大日経』との出会いでした。
  空海は深く感動してこの経典の思想を究めようと願います。しかし当時、真言密教の思想に通じた僧は日本におらず、空海は中国へ渡って本格的な修行を積むことを考えました。
 
         
  弘法大師

遣唐使の一員として入唐

 八〇四年(延暦二三)、空海は三十一歳になってようやく遣唐使の一員として入唐を果たします。
同時期には、生涯のライバルとなる最澄も唐に渡っています。
  空海はそれから一年後、中国密教の頂点に立つ高僧・恵果の門下に入り、両部の大経(『大日経』と『金剛頂経』)を継承しました。 恵果は空海の天賦の才能をすばやく見抜き、空海にすべての知識を授けることを決意。恵果は出会いから八か月後になくなりますが、驚くほどの短期間に空海は真言密教の奥義を体得します。

  八〇六年(大同元)、空海の帰国は正統の真言密教がはじめて日本に渡ることを意味しました。
それは第一に「即身成仏」の思想であり、第二に「鎮護国家」の修法であり、さらにはおびただしい数の経典や仏教、仏画、法具類でした。
  また、土木や医療、占星術など、仏教以外の幅広い分野の大量の書物も一緒に海を渡ってきたのでした。その後、空海は真言の布教と同時に、社会事業も手掛け、目覚しいかずかずの業績を残していきます。
  嵯峨天皇の帰依を得るなど、次第に真言宗の基盤を確立していった空海は、本格的な布教と弟子や信徒の養成活動に入ります。
  八一五年(弘仁六)には全国に弟子を差し向けるなど、済世利民を実施します。
  八一六年(弘仁七)に修行道場である高野山金剛寺、八二三年(弘仁一四)には、嵯峨天皇より京都・東寺を与えられ、ここを密教の根本道場と定めました。東寺は、のちに教王護国寺を寺号を得ました。
  また中国で学んだ知識を生かして、八二一年(弘仁一二)には四国・讃岐にある満濃池における難工事を指揮して、見事な成功をおさめるなど、全国各地の社会各地の社会事業でも天才的な活躍をしました。
  さらには、空海は書道においても非凡な才能を発揮し、同時代の嵯峨天皇と橘逸勢の二人と並んで「三筆」と呼ばれました。

 
       
         
     
醍醐天王は「弘法大師」の諡号を贈る

 空海は全国的各地に数多くの伝説を残し、八三五年(承和)、六十二歳でこの世を去りました。
後に、醍醐天王は「弘法大師」の諡号を贈り、空海の遺徳を讃えたのでした。

空海亡き後も、真言宗は主に貴族階級の援助を受けてさらに発展を遂げてきいきます。 しかし勢力の拡大の同時に、二つ根本道場である東寺と高野山(金剛峯寺)の対立をはじめ、諸寺院の独立した動き、宗門各派への分化などを生んでいきました。そうした中で、真言宗は多くのすぐれた高僧を輩出し、新たな歴史が築かれていました。
  空海の入定から約半世紀後、各派に分かれた真言宗をさらに発展させたのが益信と聖宝でした。 宇多上皇の帰依を受けた益信は、仁和寺中心に多くの皇族や貴族の篤い信仰を集め、その後の発展の礎を築きました。
  また同時期、「修験中興の祖」と呼ばれたのが聖宝です。 醍醐寺を創建して密教の大衆化をすすめました。さらに、聖宝の直弟子・観賢は宗門の統一を図り、東寺、金剛峯寺・醍醐寺などの諸大寺院をまとめ上げました。
  平安時代に流行した浄土信仰の念仏を採り入れ、真言宗の刷新をめざしたのが興教大師・覚鑁でした。覚鑁の動きは東寺や金剛峯寺などの主流との対立を生みましたが、庶民の信仰は一気に高まり、その後、貴紳の高野山詣は時代を追うごとに盛んになりました。さらに、覚鑁は根来寺に拠点を移し、新義真言宗という新たな流れを築き、智山派や豊山派として現在に至っています。
 
         
         
     
日本文化の源流

 若き空海の入唐(八〇四年)から千二百年。空海の教えや実践は時代を超え、また宗派を超え、日本文化の源流の一つでありつづけてきました。その影響力の大きさの一端は、真言宗総本山・金剛峯寺がある高野山の発展や、根強い信仰を集める四国八十八か所巡り、全国各地に残る多くの弘法大師伝説などに見ることができます。
  高野山は歴代の権力者である皇族や武家によって数多くの寄進を受けつづけ、今では貴重な国宝や重要文化財などの一大集積地となっています。
  また、一般庶民から天王までの階層を問わない、およそ五万基とも言われる墓石があり、空海の開いた聖地が人びとにとって特別な場所でありつづけてきたかを知ることができます。
 
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  2月  
  大日経
図:高野山「弘法大師と高野山」より出典・転載
根本経典

 真言宗(しんごんしゅう)の根本経典(こんぽんきょうてん)は、『大日経(だいにちきょう)』『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』です。

法要(ほうよう)の中で唱えられる主なお経は『般若理趣経(はんにゃりしゅきょう)』『般若心経(はんにゃしんぎょう)』『観音経(かんのんぎょう)』などです。
さらに特徴として『光明真言(こうみょうしんごん)』に代表される真言や陀羅尼(だらに)を唱えます。
また経文(きょうもん)に節(ふし)をつけて唱える「声明(しょうみょう)」は広く知られています。
また、お経のほかにも『ご詠歌(えいか)・和讃(わさん)』をお唱えすることがあります。
 
       
  般若心経は多くの宗派で読まれ、また在家でもよく唱えられるお経の代表格といえます。
本来は観音経で詳しく説かれている真理が書かれている経典の部分を抜粋したものといえますが、256文字に集約された中に秘められた壮大な宇宙観は仏教哲学そのものの真髄といえ学術的にも多くの研究対象としても深く探求されています。

灌頂仏
般若心経
 
             
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  3月  
  大日如来
大日如来(金剛界)
森羅万象の根源

 大宇宙すべての現象の根源となる仏であり、「法身仏」とも呼ばれています。 真言宗をはじめ密教世界で本尊とされ、教義の中心に位置するのが大日如来です。
  「光り輝き、あまねく照らす偉大な仏」という意味があります。 漢訳では「大毘盧遮那仏」とも言います。
 高野山や比叡山など、密教の聖地では大日如来がまつられています。
大日如来は宇宙の真理や根源を意味する仏で、この世も森羅万象、すべての自然や生命が大日如来の現われであると考えられています。また、仏教の各宗派で語られる仏・如来、菩薩などはすべてその化身とされています。
  密教以外の宗派では、過去世において善業を積み、その報いで仏となった阿弥陀如来のような「報身仏」、あるいは衆生を救済するために生まれた釈迦如来のような「応身仏」を本尊としています。これらはすべて、特定の仏による具体的な考えであることから顕教と呼びます。
  一方、密教では本尊となる大日如来そのものを、「法身仏」と呼びます。
「法身」とは宇宙の真理や法則を体現するものという意味です。したがって大日如来はすべての仏・如来の根源であり、大日如来が象徴する仏法(秘密の法)を直接学ぶことが密教の信仰に中心になります。

  密教の世界では、大日如来は二つの働きを持ち、第一は「理の法身」と呼ばれます。「理」 は現象世界の背後にある法則であり、究極の真理です。森羅万象はこの理の法身から誕生することから、理の法身を宇宙の子宮と考え、大日如来の世界のことを「大悲胎蔵」(大いなる慈悲を宿した世界)と呼びます。
真言宗を開いたり空海によれば、究極の真理から現象世界に流れ出てくるのが、第二の「智の法身」です。この智の法身を手がかりとして、宇宙の真理を深く認識し、密教の深い智慧を実践することによって大日如来の世界と融合することが、真言宗における修行の眼目となります。これを「即身成仏」といいます。
 
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  4月  
  根本曼荼羅
国宝:當麻寺所蔵根本曼荼羅
密教の宇宙観を表現

大日如来の姿は、密教の宇宙観を表現する代表的な二つの曼荼羅の中心に描かれています。
いずれも真言宗の根本経典の教えを基に描かれ、宇宙の真理を説く『大日経』による「胎蔵界曼荼羅」、そして真理の実践と修行の方法を説く『金剛頂経』による「金剛界曼荼羅」があります。
二つの曼荼羅のちがいは、大日如来の本質を捉える力点のちがいによります。真言密教の世界観はこの両曼荼羅が描き出す大日如来の姿によって成り立っています。

  まず
「金剛界曼荼羅」に描かれる「金剛界大日如来」では、「森羅万象」を作り出した大日如来の智慧が表現されています。金剛とはダイヤモンドを意味し、大日如来の広大無辺な智慧がなにものにも傷ついたり、揺らぐことがないことを表わしています。
  一方
「胎蔵界曼荼羅」で描かれる「胎蔵界大日如来」は、母の胎内のように、宇宙のすべての存在や現象をつつみ込んでいる大日如来の限りない慈悲が表現されています。

唐に学んだ空海は、中国密教の頂点にあった師・恵果により、『大日経』による胎蔵界灌頂と『金剛頂経』による金剛界灌頂を受けました。この間、恵果の青龍寺に入ってわずか三か月。驚くほどの短期間に、空海は密教のすべてを伝授されたのでした。
 
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  金剛界曼荼羅
金剛界曼荼羅


胎蔵界曼荼羅
胎蔵界曼荼羅
 曼荼羅とは言葉による説明が困難な宇宙観を描いた仏教画で、インドやチベットの密教で発展しました。 曼荼羅は仏教における修行や祈りの対象となる画像で、宇宙的調和や悟りの世界が象徴的に描かれています。古代インドの言語(梵語)の言葉「mandala」を原語とし、「本質、心髄」という意味があります。また、中国では「輪円具足」とも言い、「仏のすべての功徳を備えるもの」といった意味があります。
 曼荼羅には表現方法のちがいから、大きく四つのタイプがあります。仏や菩薩のそのままの姿を描いた「曼荼羅」、仏の持物や印相を描いた「三味耶曼荼羅」、仏を表わす梵字で描いた「法曼荼羅」、そして彫刻仏などで立体的に構築した「羯磨曼荼羅」です。
密教の曼荼羅では大日如来が中心となり、その周りを取り囲むように、さまざまな仏、菩薩、明王、諸天、が描かれています。その代表的曼荼羅が、九世紀初めに空海が中国から持ち帰った「胎蔵界曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」の二つです。一括して「両界曼荼羅」とも呼ばれています。それぞれ根本経典『大日経』と『金剛頂経』に基づいて描かれたものです。
 「胎蔵界曼荼羅」は『大日経』に基づいて、実在世界の「真実、理」が描かれ、人間の仏性が大いなる仏の慈悲によって目覚め、花開き、悟りへ至るまでの様子が象徴的に表現されています。 中央には大日如来が位置し東西西北を囲むように宝幢如来、開敷華王如来、無量寿如来、天鼓雷音如来が坐っています。また、この四如来にはそれぞれ普賢菩薩が寄り添っています。さらに、この曼荼羅は全体で十二の大きな区劃(院)に分けられ、各部分を合計すると四〇四尊の仏が描かれています。
  一方、「金剛界曼荼羅」には『金剛頂経』に基づいて、 大日如来の「智」の世界が表現されています。全体が九つのマスに区切られているように見えるところから「九会曼荼羅」とも呼ばれています。それぞれのマスには大きな円形の月輪が描かれ、その中にさらに小さな五つの月輪が配置されています。中央の小さな月輪には大日如来が坐り、東南西北を囲むように阿弥陀如来、宝生如来、無量寿如来(阿弥陀如来)、不空成就の四如来が坐り、合わせて<金剛界の五如来>と呼ばれます。 さらに、この四如来はそれぞれ四菩薩が囲み、合わせて十六大菩薩と呼ばれます。九会の中央の成身会(根本会)には、周囲を取り囲む小さな千仏を含めて一四六一尊の仏が描かれています。
 この二つの曼荼羅はいずれも、大日如来がすべての仏であることを示しています。真言宗の寺院では本尊の両脇に掛けられ、修行の本尊として用いられます。
ちなみに「両界曼荼羅」では、大日如来の姿は印を組んだ姿で描かれています。
「金剛界曼荼羅」では、胸の左手人差しを立てて拳をつくり、それを右手の拳で包み込んだ「智拳印」 。「胎蔵界曼荼羅」では、お腹の前で左手を下に、右手を上に組む「定印」が組まれています。

  この他、ユニークな曼荼羅に「星マンダラ」、別名「北斗曼荼羅」「妙見曼荼羅」と呼ぶものがあります。平安時代に多くつくられた星祭用の曼荼羅で、当時の貴族の間で流行した1占星術や祈祷に用いられました。北極星と北斗七星、日曜、水曜などの九曜の各尊が、仏の姿や梵字によって描かれています。現在でも節分、冬至などの法要に使われています。

金剛界曼荼羅
『大日経』を基に画かれた胎蔵界曼荼羅に対して、金剛界曼荼羅は、『金剛頂経』が基になっており、大日如来の智慧と実践(智)を表わしています。九等分された曼荼羅であることから「九会曼荼羅」とも称されます。胎蔵界と金剛界の両界(もしくは両部)曼荼羅は、ふつう真言宗の寺院では本堂の東西に一対としてかかげられています。

胎蔵界曼荼羅
大日如来の真実(理)を表わす曼荼羅です。胎内に眠る胎児のような人間本来の仏性の種子が目覚め、育ち、悟りとなって結実するさまを画しています。中央にある八葉蓮華は、胎蔵界大日如来を中心に四仏・四菩薩のめぐる仏性の世界を示し、「中台八葉院」と呼ばれます。
 
       
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  5月  
  ルンビニの聖地
真言とは宇宙の真理を明らかにする言葉

宇宙の真理を明らかにする言葉で、一心に唱えるということで悟りの境地へ至るとされます。
 真言は梵語(サンスクリット語)で「マントラmantra」にあたり、「真理を明らかにする秘密の言葉」といった意味があります。
 長い信言を「陀羅尼」(梵語でダーラーニー)とも言います。真言の起源は古く、古代インドのバラモン教における神々を讃える聖なる言葉にまで遡るとされます。

  真言宗の開祖空海は『般若心経秘鍵』の中で「一字に千里を含む」として、たった一言の「真言」であっても大日如来が教える広大な宇宙の真理が含まれていると説いています。 密教では宇宙の真理そのものである大日如来は森羅万象に宿っていると教えますが、この悟りの境地へと至るための方法の一つが「真言」を唱えるという修行です。
  一方、顕教においては、教化する相手の力量やその時の状況に合わせ、いったん分かりやすく翻訳された上で教えが説かれます。
  しかし密教では、直接大日如来:の奥深い真理<秘密の真理>を体得することが眼目とされます。ですから、真言を唱えることは深い真理を頭で解釈して理解するというより、その響きやリズムを身体に刻み、大日如来の真理と共鳴し、同化することを意味します。

空海が名付けた真言宗の「真言」には、方便やロジックを用いずに、宗派を超えた究極の境地へ真っ直ぐに至るという強い意志が込められているのです。
 
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